出願〜赴任まで

’93・94年度受験者 (’96年度 派遣者)


’93年5月(願書提出)

 所属の教育長が県教委に電話を入れて下さり、派遣教員の配偶者は「来年度より休職扱い」と
の解答を得る。教育事務所から書類が回ってから締め切りまで数日しかなく、あわてて走り回った記
憶があります。その後、県教育委員会での選考試験の通知が来ました。

’93年7月初旬(県選考)

初めてのことで試験の内容や方法については全くわからず、パリへ行って来られた先生に電話で問い合わせた所、論文(志望理由等)と面接だ、ということを教えていただき、志望理由等について少し文章でまとめただけで、とくに準備もせず県の選考に臨みました。
県下で10名位が受験か。

午前中に経験者(ドイツから帰ってこられた先生)から派遣の制度や日本人学校の様子についての説明を受けました。その後、論文。志望理由について書くようにとにことだったと思います。
午後からは面接。県教委教職員課長を含む三名程度から、英語能力や家族状況等の質問されました。

’93年9月初旬(文部省面接選考通知 :於 大阪)

文部省面接では、『君が代・日の丸問題』、『職員会議の位置づけ』、『英語力』等について質問されました。
面接に先立ち記入した書類については、このHPに掲載されている各先生方と同じで、地域を指定するとまず合格できないと聞いていたので白紙委任(どこでも行きます) にしました。

’94年1月(教育長が県教委へ確認)

 発表については1月中旬までに通知するということだったので、待っていたのですが、
全然連絡が来ません。どうなっているのだろうと思い、教育長に相談したところ、また
県に問い合わせをしていただき、文部省からの通知には名前がない、と返事をいただ
きました。


思うに文部省面接での『君が代・日の丸問題』への返答が不適格だったようです。たしか『個人の自由』というような返事をしてしまったと思います。まあ、本当のところはわかりませんが・・・ 。


’94年5−7月(出願・県選考)

5月頃、応募の書類が回ってきたので、申し込みました。
今回は要領もわかっているので県の選考の際には事前に文章を作り(出題は同じでした)、面接の際も相手が昨年も受けたのを覚えていたため、逆に文部省面接の様子を聞かれたぐらいです。 

’94年9月(文部省面接選考 於:大阪)

一年前と同じように大阪での文部省面接。
その際には『君が代・日の丸』についての質問はありませんでした。 

’95年1月

 1月中旬になって、連絡を待っていたのですが、何も来ません。もし受かっていれば後二ケ月で世界のどこかに行かなければならなくなるのか、と若干不安でしたが、1月下旬になっても連絡が来ません。 『今年もまただめだたのか』と思って、報告を兼ねて教育長を訪ねたところ、またまた電話で県に問い合わせをしてくれました。その結果、『今年の名簿には載っていないが、 登録者名簿に載っているらしい』とのことでした。『登録者名簿ってなんでしょうか。』と教育長に聞いたのですが、『わからないな』とのこと。『まあ、補欠合格みたいなもんかな』 などと勝手に思っていました。とにかく名簿に載っているので翌年度(95年夏)に研修があるらしい、との連絡でした。

’95年6月 夏季研修通知(事前研修

   人事の関係からかどこからも確定の連絡が無いまま東京での研修の連絡が 6月頃来たと思います。 

’95年7月(事前研修)

  東京(代々木)での夏の研修で初めて『登録者制度』の件を知った具合でした。

’95年11月中旬

  赴任地の連絡

’96年1月

1月末の筑波研修。 

’96年4月

  赴任


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最新更新:2009/09/22