http://abroad-kaigai.iobb.net/~paris/vacances/europe1.html (自宅サーバ) (現在、自宅サーバーは運休中) Motorizationの活用 この車で、北はイギリスのネス湖、西はポーランドまでヨーロッパを縦横に爆走する。 画像は、イギリスでインバネス地方へ行く途中。車はルノーネバダ21のステーションワゴン車。(7人乗り)、左右の画像は、免許証、当時は三つ折りの紙様式でした。カルトセジュールは当時からカードだったので、現在はカードかな。 海外勤務の憂さ晴らしの一つには、「旅に優る教科書はないことを知ったからです。 ..(省略)....旅先での三週間は、東京での三年分の経 験に匹敵するものでした。」(千葉敦子著、ニューヨークの24時間、p.226 文藝春秋 1990年) という表現を見るまでもなく、現地理解 (研修・旅)にあります。故千葉敦子さんによると、海外の1日は、東京の52日になるわけで、そうすると、52日×365日×3年×家族4人でトータル600年を超える、そんな馬鹿な?? ともあれ、家族で 行ったのは次の地域でした。 |
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夏 ・・・国内の旅(大西洋からコ ートダジュールまで) ロア−ル地方では、シャト−(城)ホテルで一泊。敷地内に ヘリコプタ−の発着場が有ったのには驚きました。 テントを積んでいましたので、適当なキャンプ場で テント生活。保健体育教科に野外活動の項目が有りますが、しっかり教材研究が出来まし た。 南仏のアンティ−ブで(ニ−ス・カンヌの中間) キッチン付きのアパ−トで1週間過ごし、バカンスのあり方を学びました。(教科にある余暇活動の あり方の研修) 冬 ・・・ヨーロッパのスキー場 バルトランス ここもキッチン付きのアパ−トで1週間過ごし、広大なフランスのスキ−場 で思う存分、冬季教材のスキ−技術を学習しました。 春 ・・・イタリア・オーストリア・スイス ロ−マ オリンピック(1960年)の器械体操競技場(カラカラ浴場)。小野選手が僅かの差 でソ連のチトフ選手に破れ個人総合を取れなかった場所 です。いつかは訪れたいと思っていました。 夏 ・・・イギリス・オランダ・ドイツ・スイス イギリスはネス湖まで北上、途中エジンバラでみた、ミリタリタトウのバグパイプはいつまでも耳に残りました。大学時代、教官が「サッカ−やラグビ−のコ−トラインは石灰ではなく、芝生を刈り取っている」 ホントカイナと疑問に思っていました。これを確 認したくて上記の国々を訪れました。やはり真実でした。 スポ−ツはそれなりの経済が豊かでないと、浸透しませんね。 国内:コルシカカ島 コルシカでは、例によってアパ−ト暮らしでした。 往復の飛行機代(4人分)・アパ−ト・レンタカ−のセット販売でした。ナポレオンの生誕地を 見 学中レンタカ−のドアの鍵が壊され(窃盗が目的だったようですが、車内に有ったのは 米と炊飯器・子供のおもちゃで何も取らずに逃げたようで す)英語で何とか別の車と交換して もらいました。 冬 ・・・ヨーロッパのスキー場 バルトランス 昨年と同様アパ−トを使いスキ−技術の向上を目指しました。 春 ・・・ギリシャ 体育史を学んだ者にとって、古代オリンピック発祥の地を訪れるのは夢でした。 |
3年目 夏 ・・・ドイツ・チェコ・スロバキア・ポーランド・ハンガリー・オーストリア・スイス・イタリア ベルリンの壁崩壊後の旧東欧諸国の変化を身を持って経験する事は、必見でしょう。 また、東京オリンピック大会の時、名花といわれたチャフラ フスカを生んだ国を訪れることは、大変有意義でした。 アウシュビッツ、時間が許せば行くべき場所でしょう。 ヨ−ロッパアルプス、モンブラン・ユングフラウヨッホ・マッタ−ホルン・サンモリッツ・ザルツカンマ−グ−ト・ グロ−スグロックナ−山岳道路・ドロミ テ街道など、山やスキ−に興味なくても有名な場所ですね。 ヨーロッパの山々を車でノンビリ家族旅行をしました。 国内:コルシカカ島 何でこんなに島が好きなんでしょう。「もっと別の場所へ行けば良いのに」 と皆さんに言われましたが、やはり四国の島の人間ですね。1週間、 夏季教材の水泳 をしっかり研究しました。 冬 ・・・スペイン・イギリス バルセロナ・マドリッドは飛行機で、アルハンブラ宮殿へはレンタカーを利用。開通間もないユーロースターでロンドンへ
その他 他に訪れた所。ミラノ・ジュネーブ・ブルージュ 等 .旧東欧で驚いたのは、 アウシュビッツへ行く途中、荷馬車によく出会ったことです。機械化が遅れているの でしょうか、馬に鋤をつけ畑を耕していました。私は農家の出身で今から 30年程 前(小学生の頃)父が牛で田を耕していた光景を思い出しました。 ベルリンやドレスデンでは、第2次世界対戦の傷跡がそのまま放置されており、 弾痕がいたる所に見られ経済の復興は大変だろうと容易に想像できま した。 この本の記載の国を踏破し、それ以外に、ハンガリー・ポーランド・チェコ・ギリシャを走ったことになる。どこを走っても、日本では見られない風景や宿の雰囲気に思い出も多い。山岳地帯・島・海・古城、国境を越え等等。 |
ベルリンのPergamon Museum は、古代都市の遺跡を再現しており、大英博物館の パルテノン神殿のレリーフや本物のパルテノン神殿を見学していた ので、より一層印象 に残りました。 ここまで保存した努力に敬意を表したいくらいでした。 地下鉄・道路網の未整備な点が目につきました。歩道から、アットいう間に地下の プラットホームに出ます。これは、ターミナルが無いためです。 チェコでは、1週間前にオープンした小さなホテルに宿泊しましたが、従業員のアル バイトとおぼしき高校生ぐらいのマドマゼル が英語が堪能なのにはビ ックリしました。 何でも、チェコ語・ドイツ語・英語を履修しているとの事でした。
交通機関 移動には飛行機・TGV も利用しましたが、ほとんど自家用車での移動でした。 最初の任国外は、南フランス経由イタリアへ行きました。ニ−ス・カンヌ は 夏に訪れていたこともあり、又同じ道を行くのは気が重かったので、 パリ〜ニ−ス間は カ−トレインを使いました。家族は寝台車・車は汽車で運んで もらい、ニ−スからの運転でした。 パリを20時出発、翌朝8時、ニ−ス着でした。 ギリシャへは勿論、飛行機でした。現地でレンタカーを借り念願であった、 オリンピアやスパルタを訪れ、結局ヨーロッパを車で縦横に駆け回りました。 もっとも、日程の関係で最後の冬のスペイン〜イギリスは、飛行機でバルセロナ・マドリッド間を訪れ アルハンブラ宮殿までは、レンタカ−を使いました。 本場のフラメンコを見た後、急いでマドリッドへ戻り パリでTGV経由、開通間もないユ−ロ−スタ−でロンドンへ行きました。(トンネルの中で入国スタン プを押されました) まず気づいたことは、道路網が発達しており気軽に仏国外へ行けることです。 EU内であれば英国以外は、パスポートチェックなしに通過可能でした。国 境の 検問所は、ありますが車のナンバープレートを見ただけで、素通りでした。検察 官がいない国境もあったくらいです。 ビザの必要なチェコ・スロバキア・ポーランドは少し時間がかかりましたが、ハンガリーは 出国日のスタンプを押されないほど、簡略化していました。 |
インフォメーションの充実 ホテルは予約しなくても、少し早く宿泊する街に到着すれば、必ず見つかります。 ヨーロッパの人達は車の場合はホテルの予約は余りしないようで す。その代わり、イ ンフォメーションが至る所にあり、充実振りは見事なものです。遊牧民族の血が脈脈と 流れているような気がしました。任国外で予 約したのは、飛行機を利用した時に使い他は インフォメーションを利用しました。
安宿をよく利用しました。研修旅行について余り紙面を使うと、海外派遣は物見遊山と誤解を受けそうですので この辺で止めますが、仕事は予想以上にストレスがかかる事は事実です。 派遣 経験者はこのことは十分ご存知のことと思います。 休暇を利用して気分転換をしないと、心身のバランスが保てません。 積極的に気晴らしをしたと思った私でも、スト レス性の胃潰瘍になりまして、 フランス語が飛び交う中で何がどうなっているか理解できないまま 胃カメラを飲まされました。
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(県教委のバックアップがあって助かりました。)
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