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私の専門教科である保健・体育に関してスキー教室(4泊5日)と鳴子踊り(運動会)について報告したいと思います。 パリ日 本人学校は創立20周年(1993年10月)を迎えましたが、今まで宿泊を伴ったスキー教室を実施していませんでした。そのため1 年以上の準備期間を要し、安全に教室が開催できるよう、取り組んできました。'94年1/24〜1/28にかけてグルノ−ブルの近くの スキー場で、スキ−教室を開催しました。中学部1・2年生80名がバスに乗って9時間の距離を移動し、パリを出発して全員無事帰 ってくるまで、胃がチクチク痛く、普通であれば美味しいはずのワインもゆっくり味わう余裕がありませんでした。 スキー教室を思い立った理由は、運動施設・用具の不十分な点にありました。日本人学校で運動場・体育館を保有しているの は、恵まれた学校の部類に入るかもしれません。しかし、移転して、3・4年目のためでしょうか、マットの枚数・ボールの個数・セフ ティーマット 等々、在籍校と比較すると貧弱さは目に余るものでした。
赴任1年目に、小学校3・4年生用の社会科副読本を約30万フランで作成しましたが、この経費の一部を体育科へ少し回してく れたら、と思ったのは私一人だけではなかったと思います。 しかし、無いものねだりをしても、進展はありえません。「フランスで出来ることは何か」と発想の転換をしました。ご存知の通り、 仏国は第1回冬季オリンピックをシャモニーで開催して以来、3回実施した自然環境を持っています。また、 こちらのスキー場で、 思ったことですが、
「スキー場は若者の世界」という日本の経験しかない私にとって余りの違いに、見るもの・体験すること全てに驚きました。 更に、現地校(仏国の学校)出身の生徒によれば、2〜3週間かけて午前中は学校と同様な授業、午後はスキー授業を行ったと のこと。
結果は、生徒の感想文や保護者のアンケートによれば、双方ともに大好評で心配事は杞憂に終わり、第2回スキー教室の実 施に弾みがつきました。(2回目は1年後の '95年1月実施)
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'94年7月2日に本校の第20回運動会を行いましたが、その折り「よさこい鳴子踊り」を中学部の生徒約100名で踊りました。紅白に分かれて「シャンシャン」と調子良い鳴子の音をパリ日本人学校で響かすことができました。 各クラス別に男女の鳴子リーダーを作り、このリーダーに基本的な踊りを教え、その後このリーダーが中心となって他の生徒に指 導・練習をさせました。教師の直接指導を極力避け、生徒の自主性に任せる方法を取りました。 本校の生徒の出身地は、ほとんどが東京を中心としており鳴子を見るのも、踊るのも全員初めてでした。練習を重ねリズムに慣れ てくると、当初嫌がっていた男子生徒も、音に合わせて、からだをリズム良く動かしておりました。 鳴子は高知市から取り寄せ、法被も高知市在住の方や本校の保護者の方からも寄贈していただき、JALやANAの名前入りの法被の中 に「帯屋町」の法被が混じって踊っておりました。 入場曲は、パソコン通信で知り合った方から「都はるみ」の純民謡調のテープを高知から送って頂き、退場曲もアレンジした曲でし た。入退場・踊りの曲とすべて、鳴子踊りのテープを使いました。このプログラム中は「南国土佐」一色で、プログラム名も「第41回 鳴子踊り」と、ローカル色で染まっておりました。 鳴子やテープの入手で宮田先生には大変お世話になりました。帰国教員のサポート体制があって、本当に助かりました。
これらの法被は、今後の本校教育活動の中で使わせて頂く所存です。新品の高知県の法被は、学習発表会で大活躍しました。中学部1年生の創作劇では、鳴子踊りそのものがテーマの一部にな り、舞台での鳴子踊りに使いました。 宮田先生は現在2回目の派遣(ブエノスアイレス日本人学校の教頭)から帰国され、高知市の小学校で校長として活躍されています。
スキー教室の画像はこちらへ オリジナルの刊行物の表紙と記事 「教育こうち」高知県教育委員会発行 No.131号 |
パリ日本人学校 元派遣教員(中学部) (1995/02/21) |
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